チョコレートプラネットの長田庄平さんの実家は京都にあり、本人は京都市上京区出身です。妻の実家がある能登の話も出てくるため、どちらが長田さんの地元なのか気になった方もいるのではないでしょうか。
長田さんは町工場で育ち、祖父がものを作る姿を見ていたと話しています。陶芸やDIYが得意で、コントの小道具まで手がける背景には、そんな生い立ちがあります。
この記事では、実家と家族のエピソード、妻側の実家との違いを整理します。さらに、母校や美術短大での学び、陶芸講師を経て松尾駿さんとコンビを組むまでの歩みを紹介します。
- 長田庄平の実家は京都!町工場での生い立ちと家族の話
- 長田庄平の実家から続くものづくりと芸人への歩み
長田庄平の実家は京都!町工場での生い立ちと家族の話
- 実家は京都にあり、出身地は京都市上京区
- 実家は町工場で、祖父のものづくりが身近だった
- 父親の仕事と妹の話から分かる家族のこと
- 妻の実家は能登で、京都の実家とは別の話
- 結婚後は仕事や人生への気持ちにも変化
- 実家の工場を継ぐ道から、東京へ向かった理由
実家は京都にあり、出身地は京都市上京区
長田庄平さんの実家について、まず押さえたいのは本人の地元は京都であることです。吉本興業のプロフィールでは、出身地が京都府上京区と紹介されています。石川県の能登という地名は、妻側の実家にまつわる話です。
出身地と実家の話を分けると分かりやすい
上京区は京都市の行政区の一つです。プロフィールの京都府上京区という表記は、京都市上京区を指しています。地元の地域を知りたい場合は、この市と区の関係を押さえると分かりやすいでしょう。
出身地は、その人の生い立ちを示すプロフィールの項目です。一方、実家は家族が暮らす家を指す言葉なので、出身地の表記だけで現在の建物や住所まで分かるわけではありません。
長田さんは2024年に家族の出来事を話した際にも、京都の実家に言及しています。京都という地域については、プロフィールだけでなく本人の家族の話ともつながっています。検索して京都と能登が並んでいても、出身地が途中で変わったという意味ではないんですね。
長田さんと松尾さんでは地元が違う
チョコレートプラネットは、京都出身の長田さんと、神奈川県箱根町出身の松尾駿さんによるコンビです。二人とも地方から東京のお笑いの世界へ進んでいますが、生まれ育った地域は別々です。
関連する地名を人物ごとに並べると、混同しやすい点が整理できます。
| 人物・関係 | 地域 | 何を示すか |
|---|---|---|
| 長田庄平さん | 京都市上京区 | 本人の出身地 |
| 長田さんの妻側 | 石川県の能登地方 | 本人が話した妻の実家の地域 |
| 松尾駿さん | 神奈川県箱根町 | 相方の出身地 |
同じコンビについての話でも、誰の実家や出身地なのかを読むと、京都・能登・箱根の関係がすっきりします。
住所よりも注目したい京都での暮らし
実家の番地や建物を探さなくても、長田さんの育った環境は、本人が話す町工場やものづくりの思い出から知ることができます。京都で暮らしていたことと、家の細かな場所を知ることは別の話です。
コントで見せる器用さが気になるなら、祖父の仕事や美術を学んだ経験のほうが、長田さんらしさに近づけます。地名はその歩みの入り口であり、芸風とのつながりが見えるのは、そこでどんなものに触れてきたかという部分です。
実家は町工場で、祖父のものづくりが身近だった
長田さんは、実家が町工場だったことを自分の言葉で話しています。図画工作が好きだったという話に続けて、祖父がいろいろなものを作る姿を見ていたと振り返っており、ものづくりが日常の近くにあった家庭で育ったことが分かります。
祖父の作業を見ることができた幼少期
2025年に掲載された日本文教出版の対談では、図画工作への思いを聞かれた長田さんが、好きだったと答えています。その背景として自ら挙げたのが実家の町工場と祖父の存在でした。
学校の授業だけで工作に出合ったのではなく、家族が何かを作るところにも触れていたのですね。大人の仕事や手作業を身近に見られる環境は、長田さんの生い立ちを知るうえで具体的なエピソードです。ただし、祖父が毎日工作を教えていたなど、本人が語っていない指導の様子までは分かりません。
町工場という言葉から資産までは分からない
実家が工場と聞くと、どのくらいの規模だったのか、お金持ちだったのかも気になるかもしれません。しかし、工場があることと家計に余裕があることは同じではありません。事業の規模や家族の収入は、長田さんのものづくりの話だけでは分かりません。
この実家のエピソードで伝わるのは、家族の作業が身近だったという生活の背景です。職業から家庭の豊かさを想像するより、長田さん自身が何を見ていたと話しているのかに注目すると、話の中心がはっきりします。
家業と芸人の仕事にあるものづくりの接点
長田さんのコントでは、目を引く道具が登場しても、それだけで笑いを終わらせません。道具を使う人の動きや、松尾さんの反応が加わり、場面全体が面白くなっていきます。手で形を作ることは、その表現の一部です。
実家の環境だけですべての技術が完成したわけではなく、その後の美術の学びや、小道具を実際に作る経験も重なっています。生い立ちから仕事までを一つの原因で説明するより、いくつもの経験が積み重なった歩みとして見るほうが自然でしょう。
祖父の姿を覚えている少年が、後に舞台で使う道具を自分で考えるようになる。職業は違っても、自分の手でものを生み出す場面が人生の中に続いているところに、この実家の話の面白さがあります。
父親の仕事と妹の話から分かる家族のこと
長田さんの家族については、父親や祖父の仕事、妹から連絡を受けた出来事が本人の話に出てきます。兄弟姉妹が気になる方への答えとして、妹がいることは本人が話しています。家族の名前や勤務先まで知らなくても、長田さんとの関わりはたどれます。
父親の仕事は本人が過去の取材で紹介
2020年のCINRAのインタビューで、長田さんは、祖父の工場を父親が継いでいると説明しました。父親は以前に電気関係の仕事をしており、長田さんも工業製品の展示会について行った経験があるそうです。
これは父親の仕事を本人が振り返った話です。現在も同じ事業を続けているか、どの会社と取引しているかといった営業上の細部までを示すものではありません。父親の仕事に接する機会があったことが、息子である長田さんの記憶として残っています。
妹から連絡を受けた2024年の出来事
2024年1月、長田さんは京都の母親が入院したことを、妹からの連絡で知ったと話しました。離れた場所にいた長田さんへ、家族の状況が伝わった場面です。その後は妻と相談し、京都へ向かうことになったと振り返っています。
母親のその後の健康状態や妹の暮らしぶりまで、この話から決めることはできません。ただ、きょうだいの有無を知りたいという疑問には、妹が登場する本人のエピソードが答えになります。名前や顔写真がなくても、家族関係そのものは理解できますね。
TT兄弟は実際の兄弟という意味ではない
長田さんと松尾さんにはTT兄弟というおなじみのネタがあります。名前に兄弟と付いていますが、これは二人が演じるキャラクターです。実生活のきょうだいの紹介と取り違えないようにしたいところです。
コンビの二人はNSC東京校で出会った相方同士で、幼い頃から一緒に暮らしていた家族ではありません。テレビで見る二人の息が合っているからこそ身近な関係に感じますが、家族の話と芸人としての役柄には違いがあります。
家系図のように家族全員を埋めるより、父親との展示会、妹からの連絡、母親のいる京都という具体的な話を押さえると、長田さんが語ってきた家族の姿を無理なく理解できます。
妻の実家は能登で、京都の実家とは別の話
能登という地名が出てくるのは、長田さんの妻側の実家の話です。長田さん自身の実家と妻の実家は別です。2024年の能登半島地震の際、妻と子供が帰省していたことを長田さんが話しました。
妻子が年末から帰省していた
長田さんは、妻の実家が能登にあり、妻子は年末から帰っていたと説明しています。本人も年明けの仕事を終えた後に向かう予定だったところ、その前に地震が発生したという経緯です。
地震が起きたとき、長田さん本人はまだ家族と合流していませんでした。妻子が先に帰省し、後から向かおうとしていたという順番です。
つまり、長田さんが幼少期を能登で過ごしていたという話ではありません。結婚後の家族の帰省先として能登が登場しています。記事の見出しだけで実家という言葉を読むと主語を取り違えやすいのですが、誰が帰省していたかを知ると整理できます。
離れた場所から家族の安否を心配した
本人の説明では、妻から連絡が来た後、しばらく連絡が途絶え、家族の状況が分からなくなったそうです。その後、高台へ避難したと知り、無事を確かめることができたと振り返っています。
この話の中心は、離れて暮らす家族が災害に遭い、状況をすぐにつかめなかった体験です。実家の場所を紹介する観光の話ではなく、家族の安否をめぐる出来事として語られています。映像やニュースで地名を見覚えていた方は、この帰省の話を思い出していたのかもしれません。
妻の実家の市町村や建物までは広げない
妻側の実家については、石川県の能登地方という地域を押さえれば、京都の実家との違いは分かります。海や周辺の風景に関する言葉を頼りに、集落や建物を絞り込む必要はありません。
また、2024年当時に家が倒壊せずに済んだと話していたことと、その後の修繕や現在の生活状況は別です。過去の体験談を、いまの家の状態を伝える話へ置き換えないことも大切です。
京都と能登の両方に家族の話があるのは、長田さんが結婚して家族とのつながりが広がったためです。生まれ育った土地について知りたいときは京都、妻子が被災した帰省先の話について知りたいときは能登、と分けて読むと、ニュースの内容もつかみやすくなります。
結婚後は仕事や人生への気持ちにも変化
長田さんは、結婚したことで仕事や自分の人生に前向きになれる気がすると話しています。妻について知りたいとき、印象的なのは容姿の噂よりも、本人が語った結婚後の気持ちの変化です。
2022年の取材で語ったパートナーへの思い
2022年、ABEMAの私たち結婚しました4に関する取材で、長田さんは結婚生活について質問を受けました。その際、相手を長く大切にしていく気持ちや、仕事にも前向きに向き合える感覚を話しています。
芸人の私生活というと、笑い話になる失敗談ばかりが目に入りがちです。一方、この発言では、結婚を通じて自分の気持ちがどう変わったかを言葉にしています。家族の存在と仕事への姿勢を本人が結び付けて語った場面として読むと、話の意味が伝わります。
自分の経験として結婚を話している
同じ取材で長田さんは、結婚をしないパートナーのあり方にも触れています。誰もが結婚するべきだと勧めたのではなく、自分の場合は結婚によってこう感じた、という説明でした。
ここを省いてしまうと、本人の言葉が一般的な結婚観の押し付けのように聞こえるかもしれません。大切なのは、長田さんが自分の生活をどう受け止めているかという部分です。家庭を持ったことが本人に与えた変化と、ほかの人の選択は分けて受け取れます。
相方の夫婦エピソードと混同しない
この取材には松尾さんも参加しており、それぞれが自分の結婚生活について話しています。同じ記事の中に二人のエピソードが並んでいても、松尾さんの妻への接し方がそのまま長田さんの生活というわけではありません。
チョコプラの結婚生活というひとまとめの見方をすると、発言者が分からなくなりやすいところです。長田さんの話として覚えておきたいのは、大切にする気持ちと、仕事や人生に向けた前向きさでした。
妻の名前や職業、夫婦の日常のすべてを長田さんが話しているわけではありません。本人が話した言葉には、その範囲でも夫婦の話を知る手がかりがあります。噂から妻の人物像を作ることなく、長田さんが結婚をどのように捉えているかに触れられるエピソードです。
実家の工場を継ぐ道から、東京へ向かった理由
長田さんにとって、実家の工場を継ぐことは将来の選択肢の一つでした。それでも東京へ出た理由として、年を取ったときに語れる経験を作りたかったと話しています。芸人への出発点は、最初から大きな成功を確信した決断ではありませんでした。
アルバイトをしながら将来を考えた
長田さんは、アルバイト生活の中で将来を考え、実家の工場を継ぎ、その先の暮らしが続いていく姿を想像したそうです。生活の見通しが立つ一方で、自分の人生にどんな話が残るのかという疑問も浮かんだといいます。
そこで出てきたのが、将来、孫に話せるようなエピソードが欲しいという考えでした。大げさな目標というより、自分の人生を少し違う方向へ動かしてみたいという動機として語られています。家業があったからこそ、継ぐ道と外へ出る道を比べる場面があったのですね。
まず東京へ出てみようという決断
日本文教出版の対談では、東京で何をするかを最初から決めていたわけではなかったと説明しています。その中でお笑いが好きだったことから、芸人をやってみようと考えたそうです。
後から活躍だけを見ると、幼い頃から芸人一本で進んできたように感じるかもしれません。しかし、本人の振り返りには、進路を迷った時間も含まれています。京都での暮らしを経て東京に出て、そこで選んだ仕事がお笑いでした。
工場を継がなかったことは家族との対立とは限らない
この転機は、家族に反対されて飛び出したという話ではありません。本人が説明しているのは、自分の将来を想像したときの考えと、東京へ向かう動機です。家業への不満や親との衝突を付け足してしまうと、別の物語になってしまいます。
また長田さんは、もし別の生き方をしていても問題はなかったという趣旨でも話しています。工場を継ぐ人生を否定するのではなく、いろいろな生き方があってよいという姿勢です。
芸人として知られる長田さんにも、職業を一つに決められない時期がありました。自分の経験を増やしてみようと動いた結果、後に相方との出会いやコント作りにつながっていきます。実家は出身地であるだけでなく、進路を考える際の具体的な選択肢でもあったのです。
長田庄平の実家から続くものづくりと芸人への歩み
- 母校への帰還と、中学・高校の情報の読み方
- 美術短大で学び、陶芸教室の講師を経験
- DIYと小道具の自作は、イカの着ぐるみから
- 小道具の面白さは、形・透け方・動きの調整にある
- 松尾駿さんとはNSCで出会い、2006年にコンビ結成
- 親友や同期の支えと、コントで積み重ねた実績
母校への帰還と、中学・高校の情報の読み方
長田さんの母校は、フジテレビの2026年4月の発表で、京都先端科学大学付属中学校・高等学校と紹介されています。新しいカギの学校かくれんぼで訪れた学校です。ただし、現在の校名だけで中学からの在籍とは決められません。
28年ぶりの母校訪問として紹介された
番組の発表によると、長田さんは28年ぶりに母校へ戻りました。学校の創立100周年記念式典のゲストとして登場し、その場で学校かくれんぼの開催を告げるという企画です。
ただ校舎を訪ねて懐かしむだけでなく、在校生と番組の出演者が一緒に参加する内容になっていました。長田さんが生徒だった場所に、今度は芸人として戻るという関係が、この訪問の特徴です。実家のある京都から仕事で東京へ進んだ後、学校との接点が再び生まれています。
番組の企画には学校全体が関わった
この回にはNiziUも参加し、1,000人を超える生徒とのかくれんぼが紹介されました。学校の中に出演者が隠れ、生徒たちが見つける企画です。長田さんは隠密マサルという番組内のキャラクターでも関わっています。
なお、隠れる場所を用意したのはフジテレビの美術チームと説明されています。長田さんがものづくりを得意としていても、番組の大がかりな仕掛けまで一人で作ったという意味にはなりません。小道具を自作するコントと、スタッフが制作するテレビ企画では、制作の体制も違います。
出身中学の断定にはつなげない
学校名の中に中学校・高等学校の両方が含まれる場合、その名称は学校の現在の組織を表します。一人の卒業生が中学と高校の両方に通ったことまで、名称だけで読み取れるわけではありません。
長田さんの出身中学を知りたい場合も、この母校訪問だけを根拠に学校名を埋めるのは避けたいところです。本人の在籍期間を示す話と、現在の正式な学校名を区別すると混乱しません。
母校の話で楽しめるのは、出身校の名前を集めることだけではありません。生徒として過ごした場所に、卒業後の仕事を通して戻るという時間のつながりがあります。今の生徒と同じ企画に参加する姿は、京都での学生時代と芸人としての活動を結ぶ出来事になっています。
美術短大で学び、陶芸教室の講師を経験
長田さんは美術を学んだ後、京都で陶芸教室の講師のアルバイトを経験しています。美大出身とまとめて紹介されることもありますが、経歴を具体的に表すなら、嵯峨美術短期大学でプロダクトデザインを学んだという流れです。
学んだのはものの形を考えるデザイン
プロダクトデザインは、道具や製品などの形、使い方を考える分野です。美術と聞いて絵画だけを思い浮かべると、長田さんの小道具制作との関係が少し見えにくいかもしれません。立体のものをどう形にするかという学びにも触れていたのですね。
ただし、学校で何を学んだかと、その人がすべての制作技術を身に付けているかは別です。長田さんの強みも、学校名だけで説明するより、後にどんな道具を作ったかと合わせると具体的に見えてきます。学歴はその歩みの途中にある経験です。
京都の陶芸教室で教える仕事をした
2019年の明石家さんまの転職DE天職では、長田さんが陶芸教室の講師だった経歴が紹介されました。芸人になる前から、人と接しながらものづくりに関わる仕事をしていたことになります。
陶芸は土を形にする制作ですから、テレビで陶芸に取り組む長田さんを見て、急に上手になったと感じた方には意外な前歴かもしれません。単なる初挑戦ではなく、教室で働いた経験がありました。今の肩書からだけでは想像しにくい、京都時代の仕事です。
講師時代の数字を今の収入に置き換えない
その番組では、陶芸講師時代と芸人になってからの年収の違いも話題になりました。ただ、当時の収入比較を使って現在の年収を計算したり、実家の資産を推定したりすることはできません。長田さんの転職前後の体験談として受け止める内容です。
この経歴で注目したいのは、収入の大小よりも、ものづくりを学び、それを仕事として経験していたことです。家で見てきた作業、美術の学び、教室での制作という別々の経験が、芸人になる前に積み重なっています。
陶芸の先生からお笑い芸人へという職業の変化は大きく見えます。それでも、手を動かして何かを作る時間はその後も続きました。コントの道具に目を向けると、京都での経験がまったく切り離された過去ではないと感じられます。
DIYと小道具の自作は、イカの着ぐるみから
長田さんが小道具を自分で作り始めた理由は、好きだったからだけではありません。初期には予算の問題もあり、欲しい道具を手に入れるために自作したと説明しています。実家での経験に加え、舞台に必要なものを用意する事情がありました。
売っていない着ぐるみを自分で作った
本人が挙げた初期の例は、イカと人間のクォーターという設定のネタです。必要なイカの着ぐるみが売っておらず、制作を依頼するにも費用がかかるため、自分で作ることになったと話しています。
そこでウレタンを買い、切ったり貼ったりして形にしたそうです。コントの設定が先にあり、それを舞台で見せるための姿を自分で用意する。小道具作りが別の趣味として存在していたのではなく、ネタを実現する作業になっていたことが分かります。
DIYの対象は家庭用品だけではない
DIYは、既製品を買ったり人に任せたりするだけでなく、自分で作業することを指します。家具や収納を思い浮かべがちですが、長田さんの場合は舞台の道具や衣装にもその手作業が表れています。
本人のプロフィールにもDIYと陶芸が趣味として挙げられています。ただ、特技があるからすべて簡単に完成するわけではありません。欲しい形に近づけるには、実際に作ってみて、見え方や動きを確かめる工程が必要です。ものを作れることと、笑いに合うものを作れることには、さらに違いがあるのですね。
外注と自作は必要に応じて使い分ける
2025年の対談では、長田さんは外注することが増えているとも話しています。忙しさや仕上がりの良さを理由に挙げつつ、細かな形の感覚を人に伝えにくいものは自分で作るという説明でした。
そのため、小道具は今も全部手作りとまとめるのは正確ではありません。自作する技術がありながら、人に任せる部分もあるという制作の形です。自分で作ったかどうかだけで道具の価値が決まるわけでもありません。
長田さんが手を動かすのは、コントに必要な見え方を実現したい場面です。イカの着ぐるみの話を知ると、器用さへの驚きだけでなく、限られた条件でネタを成立させる工夫にも目が向きます。家で見てきたものづくりが、舞台の具体的な課題に向かう経験になっていったのです。
小道具の面白さは、形・透け方・動きの調整にある
長田さんの小道具は、珍しい形を作るだけで完成するわけではありません。コントの設定に合わせて、色や透け方、動く速さまで考えています。細かな違いを笑いのために調整するところに、本人が語る制作のこだわりがあります。
小道具が先の場合とネタが先の場合
長田さんによると、コント作りには道具を先に思い付く場合と、ネタの内容を先に考える場合があります。地元というコントでは奇妙な形のビーチサンダルが先にあり、業者というコントではネタに合う道具を後から考えたそうです。
道具から話を広げるのか、話に必要な道具を作るのか。この違いを知っておくと、小道具の見方も変わります。コントに登場するからといって、すべてが完成した台本の後に付け足されたわけではありません。
わらび舞妓ちゃんは透け方を工夫
わらび餅をもとにしたキャラクターのわらび舞妓ちゃんでは、半透明の見え方が制作のポイントになりました。長田さんは、透明なビニールに塗装して透け具合を調整したと説明しています。
ただ透明な素材を選ぶだけでは、頭の中にある質感にならなかったのですね。中の人が見えるという設定を成立させつつ、わらび餅らしさも出す必要があります。道具の形だけでなく、どれくらい向こう側が見えるかという部分も、コントの見え方に関わっています。
ポテチクリーナーは動く速さまで調節
業者に登場するポテチクリーナーでは、ポテトチップスの袋が移動するスピードを調整したそうです。長田さんは、速すぎても遅すぎても違うため、歯車の比率を変えながら面白く感じる動きを探したと話しています。
舞台の道具は、日用品のように効率よく動けばよいとは限りません。観客が道具を見て、その動きを理解し、二人のやり取りと一緒に受け取る時間があります。長田さんが調節していたのは、機械としての動きであると同時に、コントの中で見せる動きでした。
完成品だけを見ると、一度のひらめきで生まれたように感じるかもしれません。しかし本人の話には、素材を変えたり速さを試したりする工程が出てきます。コントを見返すときは、形の奇妙さに加え、道具がどんなタイミングで動くかにも注目すると、作り手の工夫を楽しめます。
松尾駿さんとはNSCで出会い、2006年にコンビ結成
京都を離れた長田さんは、2005年にNSC東京校へ入り、翌2006年1月に松尾駿さんとチョコレートプラネットを結成しました。二人の出会いは東京のお笑い養成所です。地元の幼なじみ同士で始めたコンビではありません。
NSC東京校11期生として出会った
NSCは吉本興業のお笑い養成所です。長田さんと松尾さんは東京校の同期で、長田さんは1980年1月28日生まれなので、入学した2005年は25歳になる年でした。学生生活やアルバイトを経てから、新たな分野へ入っています。
芸人の経歴を結成年だけで見ると、それ以前に何をしていたかは見えにくいものです。長田さんの場合は、京都での美術や陶芸の経験を持ったうえで、松尾さんと出会いました。二人が同じ家や学校で育っていたわけではないことも、プロフィールと合わせると分かります。
コンビ結成には同期のシソンヌも関わった
2023年のTOKYO FMの番組で、長田さんは結成までを振り返っています。松尾さんとの即興劇で手応えを感じていたところ、シソンヌの二人が松尾さんに長田さんと組むことを勧めたそうです。その後、松尾さんから連絡があり、コンビを組む流れになったと説明しています。
最初から二人だけで将来を決めていたのではなく、同期の言葉もきっかけになっていました。養成所で一緒に表現してみること、周囲が組み合わせを見て勧めることが、コンビとして活動する入り口にあったのですね。
道具を作る人と演じる相方がそろう
長田さんはネタを作る役割を担っていますが、コントは道具だけでは完成しません。松尾さんが演じ、反応し、二人の間にやり取りが生まれることで、観客に届く形になります。
同じラジオで長田さんは、松尾さんがいなければ自分は何もできないという趣旨の言葉も口にしました。器用さや発想力に注目が集まりやすい長田さん自身が、相方の存在を大きく捉えていることが伝わります。
実家から続くものづくりの経験に、松尾さんという相方が加わったことで、舞台の表現は一人の工作とは違うものになりました。作品を作る技術と、人と一緒に演じる経験が交わるところに、チョコレートプラネットの歩みがあります。
親友や同期の支えと、コントで積み重ねた実績
長田さんの親しい友人として、パンサーの向井慧さんの名前が挙がっています。また、本人は売れない頃に先輩や同期から面白いと言ってもらえたことが励みになったとも話しています。実家を離れた後には芸人仲間とのつながりがありました。
向井慧さんの名前が出たコンビの対談
2021年のOCEANSの対談では、松尾さんが長田さんの友人として向井さんを挙げています。長田さんについて取材する人から向井さんへ質問が寄せられるという話もあり、二人の親しさが話題になりました。
ただし、対談の中の友達が少ないといういじりを、そのまま私生活全体の説明にする必要はありません。親友として名前が挙がる相手は分かっても、交友関係のすべてを列挙した話ではないからです。コンビならではのやり取りとして楽しめる部分もあります。
認めてくれる人の言葉が励みになった
日本文教出版の対談で長田さんは、売れない時期にも、面白いと声をかけてくれる先輩や同期がいたと振り返っています。誰か一人でも認めてくれる人がいると、それが頑張る力になるという趣旨の話でした。
町工場のある家庭で育ち、東京へ出てからも一人で仕事を完結させていたわけではありません。相方に加え、同じ世界で活動する人たちの言葉があったのですね。家族の話とは別に、仕事を続ける中で生まれた関係も、長田さんの歩みに含まれています。
コントの実績も段階的に重ねてきた
チョコレートプラネットの主な賞レースの経歴を並べると、活動が一度のブレイクだけでできているわけではないことが分かります。
| 年 | 実績 |
|---|---|
| 2008年 | キングオブコント決勝進出 |
| 2014年 | キングオブコント準優勝 |
| 2015年 | NHK新人お笑い大賞受賞 |
| 2018年 | キングオブコント3位 |
最初の決勝進出から、その後の受賞や再度の決勝までには年数があります。目立つキャラクターだけでなく、舞台のコントにも継続して取り組んできた経歴です。
長田さんは、自分に合う表現を探して方法を変えることについても話しています。実家で触れたものづくり、美術の学び、養成所での出会いがあり、その後も新しい形を試してきた。そうした歩みを知ると、京都の実家の話が、現在の芸風につながる一つの入り口として見えてきます。
長田庄平の実家と生い立ちの総括
- 長田庄平さんの出身地は京都市上京区である
- 本人が語る実家は京都にあり、妻側の能登の実家とは別である
- 実家は町工場で、祖父がものを作る姿を見て育った
- 2020年の取材では父親が祖父の工場を継いだと語っている
- 本人の家族の話には妹が登場する
- 工場があることだけで実家の資産や収入は分からない
- TT兄弟はネタのキャラクターであり、実際の兄弟関係ではない
- 2024年の地震では妻子が能登の実家への帰省中に被災した
- 結婚後は仕事や人生に前向きになれる気がすると話している
- 工場を継ぐ道もあったが、自分の経験を増やしたいと東京へ向かった
- 2026年には学校かくれんぼで母校を訪れた
- 美術短大でプロダクトデザインを学び、陶芸講師も経験した
- 小道具制作は自作と外注を使い分けている
- 松尾駿さんとはNSC東京校で出会い、2006年1月にコンビを結成した
- 親しい友人として向井慧さんの名前が対談で挙がっている

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