後藤楽々さんは、元SKE48のメンバーで、現在は『ZIP!』や『シューイチ』に出演するフリーアナウンサーです。英検1級やゴルフのベストスコア79といった多才ぶりから、実家はお金持ちなのでは、父親は社長なのでは、と噂されてきました。
兄とされる俳優・大川泰雅さんとの関係や、SKE48卒業の理由にも関心が集まっていますよね。この記事では、本人のインタビューをもとに、実家の場所や家族構成、噂の真相までまとめて紹介します。
- 後藤楽々さんの実家はどこ?お金持ちの噂と家族構成の真相
- 後藤楽々さんの実家が育んだ歩み|ゴルフ・SKE48・アナウンサーへの道
後藤楽々さんの実家はどこ?お金持ちの噂と家族構成の真相
- 実家は名古屋?出身地と育った街の空気
- 家族構成は4人?祖父母まで仲良しの後藤家
- 父親は喜久屋の社長?噂の出どころと本当の人物像
- 兄は俳優の大川泰雅さん?兄妹説の根拠と仲の良さ
- 実家がお金持ちといわれる理由を学歴と習い事から検証
- 本名?芸名説を検証
実家は名古屋?出身地と育った街の空気
後藤楽々さんの実家がどこにあるのかは、ファンならずとも気になるところですよね。朝の情報番組で見せる落ち着いた話しぶりからは、なかなか出身地までは想像しにくいものです。この節では、公式プロフィールに書かれている出身地と、本人がインタビューで語ってきた地元での暮らしぶりを手がかりに、実家の場所を整理していきます。
公式プロフィールは「愛知県出身」
所属事務所セント・フォースのプロフィールでは、出身地は愛知県と記載されています。生年月日は2000年7月23日なので、2026年9月現在で26歳です。市区町村までは公表されていないものの、ここが話の出発点になります。
一方で、本人の発言をたどると範囲はぐっと狭まります。南山大学附属小学校の同窓会サイトに掲載されたインタビューでは、「生まれ育ちは名古屋ですか?」という問いに答える形で、名古屋弁のイントネーションに今も苦労している話を披露していました。実家は名古屋市内にあるとみてよさそうです。
「靴」の発音でイジられた大学時代
名古屋弁のエピソードはなかなかユニークです。楽々さんによると、名古屋では「靴」や「服」を語尾が下がる独特の抑揚で話すため、東京の標準的なアクセントとは微妙にずれるのだとか。大阪弁ほど違いがはっきりしていないぶん、かえって直しにくいそうです。
青山学院大学に進んでからは、友人に「靴↓って変なのー!」とからかわれたこともあったといいます。本人は「私からすると靴↑の方がへん」と笑っていて、地元への愛着がにじむ話しぶりでした。アナウンサーという言葉のプロになった今でも、ふとした拍子に名古屋の抑揚が顔を出すのかもしれません。
通学圏は名古屋市昭和区周辺
小学校から高校までを過ごした南山の各校は、名古屋市昭和区の山手エリアに集まっています。落ち着いた住宅街と大学キャンパスが隣り合う、いわゆる文教地区(学校や教育施設が集まる地域)です。
ただし、学校の所在地がそのまま実家の住所というわけではありません。具体的な町名は公表されていないので、詮索は控えるのがマナーでしょう。確かなのは、名古屋の街で生まれ育ち、SKE48時代も地元から劇場や学校へ通っていたという事実です。
今も続く地元とのつながり
2025年12月に中日新聞の連載「家族のこと話そう」に登場した際、楽々さんは「今は地元名古屋の仕事にも挑戦したい。恩返しをしたい」と語っていました。東京を拠点に活動しながらも、心の軸足はまだ名古屋に残っているようですね。
実家がある街への思いは、これからの仕事選びにも影響していきそうです。地元局の番組で彼女の姿を見かける日も、そう遠くないのではないでしょうか。
家族構成は4人?祖父母まで仲良しの後藤家
楽々さんの家族については、「何人家族なの?」「きょうだいはいるの?」といった疑問をよく見かけます。本人はSNSやインタビューで家族の話をたびたびしていますが、情報があちこちに散らばっていて全体像がつかみにくいんですよね。ここでは、本人の発言をもとに後藤家の顔ぶれを一度まとめてみます。
両親と兄の4人家族
楽々さんの家族は、父・母・兄・本人の4人とされています。両親はどちらも一般の方なので、名前や年齢、職業は公表されていません。兄は俳優として活動している人物だといわれており、この点は後ほど詳しく取り上げます。
下記の表に、これまでに本人が語ってきた家族それぞれの横顔を整理しました。
| 続柄 | 公表されている情報 | 本人が語った主なエピソード |
|---|---|---|
| 父 | 一般人・職業は非公表 | 「人生は下りのエスカレーター」と仕事の厳しさを説く |
| 母 | 一般人・職業は非公表 | 本人に相談せずSKE48のオーディションに応募 |
| 兄 | 俳優の大川泰雅さんとされる | 母と3人で食事、写真撮影も担当 |
| 祖父 | 趣味でゴルフショップを営む | 孫のスイングに合わせてアイアンを組んで贈る |
※本人のインタビュー(東京すくすく、web Sportiva)およびSNS投稿をもとに作成
祖父母も交えた三世代のつながり
後藤家の特徴として、祖父母との距離がとても近いことが挙げられます。楽々さんがゴルフを始めたのは、ゴルフ好きの祖父の影響でした。家族3世代でコースを回っていたと、同窓会のインタビューで明かしています。
SKE48時代のブログには、母の日に兄と2人でロボット掃除機を贈ろうとした話も残っています。割り勘にしても高額で、兄とどちらが多く出すかで押し問答になった末、結局は祖父母の力を借りたというオチ。なんとも微笑ましい家族の一コマですよね。
性格の違う母娘、見守る父
楽々さん自身は「物事どうにかなるでしょ」という楽観派。対して母は用意周到に準備するタイプだそうです。性格が違うのに言いたいことを言い合うので、よくけんかをしたと本人は振り返っています。
そんな2人を少し離れた位置から見守り、ここぞという場面でひと言添えるのが父の役回りでした。役割分担がはっきりしている家族、といえるかもしれません。
家族の話題に向き合うときの配慮
両親は芸能活動をしていない一般の方です。本人が話した範囲のエピソードを楽しむのはよいとしても、勤務先や自宅を特定しようとする動きには慎重でありたいところ。家族の温かさが伝わる話が多いだけに、そっと見守る距離感を大切にしたいですね。
父親は喜久屋の社長?噂の出どころと本当の人物像
「後藤楽々さんの父親は会社の社長らしい」という噂は、検索するとすぐに目に入ってきます。実家がお金持ちだというイメージと結びついて、長く語り継がれてきた話ですね。ここでは噂がどこから生まれたのかをたどりつつ、本人の言葉から見えてくる父親の実像に迫ります。
パチンコ店運営会社の社長説
ネット上で広まっているのは、東海地方でパチンコホールを展開する「喜久屋(キクヤ)」の経営者が楽々さんの父親、あるいは祖父ではないかという説です。SKE48に在籍していた2017年前後には、すでに複数のブログがこの話題を取り上げていました。
根拠とされているのは、同社の代表者の姓が「後藤」だという一点に尽きます。ゴルフや英語教育に熱心な家庭環境が「社長令嬢」のイメージと重なり、話がふくらんでいったと考えられます。
裏付けは見つかっていない
結論からいうと、喜久屋の社長説を裏付ける公式情報はありません。本人も所属事務所も、父親の職業には一切触れていないのが実情です。
「後藤」は全国でも上位に入るほど多い姓です。同じ地域に同姓の経営者がいても、それだけで親子と決めつけるのは無理があるでしょう。噂を紹介した記事の中にも、通っていた高校名を取り違えているものがあり、情報の精度には疑問符がつきます。
「人生は下りのエスカレーター」
職業はわからなくても、父親の人柄は本人の言葉からはっきり伝わってきます。東京新聞のウェブメディア「東京すくすく」の取材で、楽々さんは父から「人生は下りのエスカレーター」とよく言われると語っていました。少し頑張ったぐらいでは現状維持、何もしなければ下る一方だぞ、という意味です。
いかにも仕事で結果を出してきた人らしい、実感のこもった言葉ですよね。経営者説が出てくるのも、こうした厳しさがどこかで伝わっているからかもしれません。
オーディションの場面で見せたユーモア
厳しいだけの父親ではありません。母が勝手にSKE48のオーディションに応募し、楽々さんが「やりたくない」と大げんかになったとき、ふだんは見守り役の父が口を開きました。「もう受かる前提で怒っているけど、1次を通っただけだから。すごい自信だね」。
この一言に楽々さんが「いやいや、受かるし」と返し、「じゃあ、やってみますか」と乗せられたのがアイドル人生の始まりでした。娘の負けん気を見抜いて背中を押した父の存在が、今の楽々さんにつながっているわけですね。肩書きよりも、こうした言葉のほうがずっと多くを物語っているように感じます。
兄は俳優の大川泰雅さん?兄妹説の根拠と仲の良さ
楽々さんのSNSにたびたび登場する「兄」の存在に、興味をひかれた方も多いのではないでしょうか。しかもその兄が、俳優として活躍している人物だという話まであります。この節では、兄とされる大川泰雅さんのプロフィールと、兄妹の仲の良さが伝わるエピソードを見ていきます。
大川泰雅さんとはどんな人?
大川泰雅(おおかわ たいが)さんは、スターダストプロモーションに所属する俳優です。Wikipediaの記載では1997年11月16日生まれ、名古屋市出身。楽々さんより2歳半ほど年上になります。
TikTokで公開したショートドラマが話題を集め、2023年には「TikTok Awards Japan」のDrama Creator of the Year部門を受賞しました。2026年も映画『純愛上等!』への出演や、7月の舞台「丸裸刑事 パープルエディション」など、映像と舞台の両方で活動の幅を広げています。
兄妹とされる根拠
大川さんのWikipediaには「実妹がSKE48元メンバー後藤楽々である」と明記されています。同じ名古屋市出身で年齢も近く、顔立ちが似ているという声も多いですね。
姓が違うのは、大川さんが芸名で活動しているためと考えられます。ただし、所属事務所の公式プロフィールにはきょうだい関係の記載がありません。本人たちが公の場で積極的に語っている話ではない点は、頭の片隅に置いておきたいところです。
カメラマン役もこなす兄
楽々さんのインスタグラムには、兄と過ごした日常がたびたび登場します。ある年の6月には「兄と母ととーっても美味しいトンカツを食べた日!」と投稿し、衣がサクサクで脂っこくないと熱のこもった食レポを添えていました。
このとき楽々さんが「トンカツって実はヘルシーじゃない?」と持論を語ると、兄には「???」という顔をされたそうです。投稿の最後には「写真は最近プロカメラマンレベルの腕前の兄が。いつもありがとう」とひと言。飾らないやり取りから、気の置けない関係が伝わってきますよ。
上京後の同居エピソード
一部のまとめ記事では、SKE48卒業後に上京した楽々さんが、しばらく兄と一緒に暮らしていたと紹介されています。兄の部屋を片付ける妹と、ソファでテレビを見て笑っている兄、という構図の「プチ愚痴」がSNSに書かれていたという話もあるほどです。
大学進学と同時に知らない街で暮らし始めた妹にとって、近くに頼れる兄がいたのは心強かったはず。俳優とアナウンサーという違う道を歩きながらも、支え合う関係は今も続いているようですね。
実家がお金持ちといわれる理由を学歴と習い事から検証
「後藤楽々さんの実家はお金持ち」という話は、父親の職業の噂とは別に、育ってきた環境そのものから語られることが多いです。確かに、子どもの頃の経歴を並べてみると、教育にかなりの時間とお金をかけてきた家庭だとわかります。ここでは学歴と習い事を具体的に振り返り、噂がどこまで妥当なのかを考えてみます。
小学校から大学まで一貫して私立
楽々さんは南山大学附属小学校の2期生です。そこから南山中学校女子部、南山高等学校女子部へと進み、2019年に青山学院大学文学部英米文学科へ入学しました。大学受験はほぼ英語と評定平均(高校の成績の平均値)で勝負するAO入試だったと、本人が語っています。
下記の表に、学歴と主な習い事を時期ごとに整理しました。
| 時期 | 学校・環境 | 主な習い事・取り組み |
|---|---|---|
| 幼稚園 | インターナショナルスクールに3年間 | 日常的に英語に触れる |
| 小学校 | 南山大学附属小学校 | ダンス、ミュージカル、ゴルフ、琴、バイオリン、ピアノ、習字 |
| 中学・高校 | 南山中学校・高等学校女子部 | テニス部、SKE48と学業の両立、東進とAO入試塾 |
| 大学 | 青山学院大学文学部英米文学科 | ゴルフ部、英検1級取得 |
※南山大学附属小学校同窓会のインタビュー、東京すくすく、各種報道をもとに作成
習い事は月曜から土曜まで
小学生時代の習い事の多さは、なかなかのものです。ダンスやバイオリンなど母の勧めで始めたものに加え、習字は自分からやりたいと言い出し、月曜から土曜まで毎日通っていたといいます。1日に2つこなす日もあったそうです。
ゴルフひとつとっても、道具代やスクールの月謝、コースでのプレー代と、出費は決して小さくありません。複数の習い事を並行し、私立校に通わせていたことを考えると、経済的にゆとりのある家庭だったのは確かだと考えられます。
ネットで広まった誤情報
一方で、ネット上の記事には事実と食い違う情報も少なからず混ざっているのが実情です。よく見かけるのが「中学時代にイギリスへ短期留学した」という話ですが、本人は同窓会のインタビューで、海外経験は小学生のときのオーストラリア研修くらいだと話しています。
英語力の土台は、幼稚園のインターナショナルスクールと、卒園後も母が毎朝流していた英会話ラジオ、ディズニーチャンネルや海外ドラマだったそうです。ほかにも出身高校を「甲南高校」と誤記した記事が見られます。華やかなイメージが先行しやすい話題だからこそ、本人の発言に立ち返ることが大切ですね。
お金より大きかった母の手間
もっとも、本人が繰り返し感謝しているのはお金ではなく母の手間です。アイドル活動と学業を両立していた頃、母は隙間時間を最大限使えるよう送り迎えを引き受け、移動中に食べられるおにぎりを持たせてくれたといいます。
楽々さんは「自分の生活を犠牲にしてでもやってくれていた」と振り返っていました。裕福さだけでは説明できない、家族の本気が伝わってきますね。
「後藤楽々」は本名?芸名説を検証
「楽々(らら)」という名前は、一度聞いたら忘れられない響きですよね。あまりに印象的なので、アイドルとして活動するためにつけた芸名ではないかと考える人もいるようです。この節では、名前が本名なのかどうかを、公開されている情報から確かめていきます。
本名とみられる理由
結論からいえば、後藤楽々は本名である可能性が高いでしょう。南山大学附属小学校の同窓会サイトでは「2期生 後藤楽々さん」として紹介されており、学校関係の記録でも同じ名前が使われています。
SKE48の7期生オーディションには、中学3年生のときに母が本人に相談なく応募しました。書類審査の段階から同じ名前で活動を始め、そのまま今に至っているわけです。芸能活動のために別の名前を用意する時間的な余裕も、あまりなかったと考えられます。
「楽々」という名前の響き
名前の由来について、本人が詳しく語った記録は見当たりません。ただ、「楽」という字を重ねた明るい名前は、彼女の朗らかなキャラクターとよく重なります。
公式ニックネームも、そのまま「らら」。ファンの間でも「ららちゃん」と呼ばれ親しまれてきました。英語圏でも発音しやすい名前なので、幼稚園時代を過ごしたインターナショナルスクールでも自然に呼ばれていたのかもしれませんね。
兄との姓の違いが混乱のもと
本名かどうかが話題になる背景には、兄とされる大川泰雅さんとの姓の違いもありそうです。「きょうだいなのに苗字が違うのはなぜ?」という疑問から、どちらかが芸名なのではと推測されてきました。
しかし、姓が違うのは大川さんが芸名で活動しているためとみるのが自然です。楽々さんのほうが名前を変えていると示す情報は、今のところ見つかっていません。
写真集のタイトルにも名前を
2025年7月23日、25歳の誕生日に発売されたファースト写真集のタイトルは『LALA』でした。自分の名前をそのまま作品名に選んだところに、名前への愛着がうかがえます。
生まれたときから呼ばれてきた名前で、アイドル時代もアナウンサーとなった今も活動を続けている。そう考えると、この名前そのものが彼女の歩みを表しているように思えてきます。
後藤楽々さんの実家が育んだ歩み|ゴルフ・SKE48・アナウンサーへの道
- ゴルフ歴は7歳から?祖父の存在とスコアの推移
- 母が勝手に応募?SKE48加入の舞台裏
- SKE48卒業の理由は?アナウンサーを目指した決断
- 兄弟はそろって芸能界へ 兄が役者を志したきっかけ
- 写真集『LALA』で見せた素顔
- 何者?アナウンサーとしての現在と実家への思い
7歳から始まったゴルフ歴と祖父の存在
楽々さんの特技として真っ先に名前が挙がるのがゴルフです。事務所のプロフィールにも「ゴルフ(ベストスコア79)」と書かれていて、芸能界でも指折りの腕前として知られていますよね。ここでは、実家の家族とともに歩んできたゴルフ歴を時系列でたどっていきます。
ゴルフ好きの祖父がきっかけ
ゴルフを始めたのは7歳くらいのとき。web Sportivaのインタビューによると、きっかけは大のゴルフ好きだった祖父でした。父も母もゴルフを楽しむ家庭で、小さい頃から家族でコースに出かけていたそうです。
「楽々も始めてみる?」という軽い誘いからスタートしたものの、最初は練習が好きになれなかったと本人は明かしています。それでもラウンドの楽しさにのめり込み、100切りを目指して週1回のスクールに通うようになりました。
小6で100切り、そしてブランク
念願の100切りを達成したのは小学6年生のときです。同級生が試合に出ている姿に刺激を受け、一度だけ出てみようと猛練習した成果でした。
ところが、目標を達成した満足感とSKE48の活動開始が重なり、15歳から20歳まではゴルフから離れていたといいます。例外は2016年8月のジャパンジュニアカップ選考会で、高校1年生だった楽々さんは15〜17歳の部に出場し、初めての試合を93で回りました。本気のジュニア選手に囲まれてのこのスコアに、ギャラリーから拍手が送られたそうです。
大学ゴルフ部で再スタート
下記の表に、ゴルフ歴の主な節目とスコアの推移をまとめました。
| 時期 | 年齢の目安 | 出来事 | スコア |
|---|---|---|---|
| 2007年ごろ | 7歳 | 祖父の影響でゴルフを始める | ― |
| 小学6年生 | 11〜12歳 | 試合出場を目指して猛練習 | 初の100切り |
| 2016年8月 | 16歳 | ジャパンジュニアカップ選考会に出場 | 93 |
| 大学入学後 | 19〜20歳 | 青学ゴルフ部に入部、復帰初ラウンド | 117 |
| 大学3年生 | 20〜21歳 | ベストスコアを記録 | 79 |
※ゴルフダイジェスト(2016年)、web Sportiva(2023年12月)の本人インタビューをもとに作成
SKE48を卒業して「青春が欲しくなった」楽々さんは、青学のゴルフ部に入部します。復帰後初ラウンドは117と苦い結果でしたが、コロナ禍で時間ができたこともあり、週3〜4日練習場に通い詰めました。ネットでは「高校時代にベスト79」と書かれることがありますが、79を出したのは大学3年生のときです。
祖父が組んだ特別なアイアン
ゴルフと祖父の縁は、道具にも表れています。愛用のプロギアのアイアンは、趣味でゴルフショップを営む祖父が、楽々さんのスイングを見て組み合わせてくれたセットだそうです。
本人は「すごく使いやすい」と話していました。三世代でつないできたゴルフは、実家の豊かさを示すエピソードとして語られがちです。けれど、それ以上に家族の絆を映すものといえそうですね。
母が勝手に応募?SKE48加入の舞台裏
楽々さんが芸能界に入ったきっかけは、母による「無断応募」でした。よくある話に聞こえるかもしれませんが、本人の語る当時の様子は想像以上にドラマチックです。この節では、実家で繰り広げられたオーディションをめぐる母娘のやり取りを追いかけます。
テニススクールの体験入学が転機に
中学生になった楽々さんは、小学生の頃から続けてきた習い事をすべてやめてでも打ち込みたいものを見つけます。それがテニスでした。テニス部で補欠になった悔しさから、もっと上手くなりたいとテニススクールへの入会を母に頼んだのです。
ところが体験入学に同行した母は、娘にはテニスの才能がないと感じたようでした。ほかに長所を生かせる道はないかと探していたところ、ちょうど募集が始まっていたのがSKE48の7期生オーディションだったといいます。
バスの中で届いた1枚の写真
ある日の学校帰り、バスに乗っていた楽々さんのスマホに、母からLINEで写真が届きます。開いてみると、SKE48の1次審査(書類審査)合格の通知でした。
本人にとってはまさに寝耳に水。帰宅するなり「やれない、やりたくない」と激しい言い合いになったそうです。母娘の大げんかを収めたのは、先に紹介した父のひと言でした。
アナウンサーを夢見ていた母
興味深いのは、母自身がかつてアナウンサーになりたかったと話していたことです。楽々さんはのちに「朝の顔」を目指すようになりますが、そのとき母の言葉が頭の隅にあったと振り返っています。
母がオーディションに応募したのは、単なる思いつきではなかったのかもしれません。娘の明るさや人前での強さを、誰よりも早く見抜いていたとも考えられます。自分が果たせなかった夢を重ねていた、という見方もできそうです。
「全ては母のおかげ」という言葉
2015年3月、楽々さんはオーディションに合格し、中学3年生でSKE48の7期生となりました。同年8月には研究生ながら18枚目シングル「前のめり」の選抜メンバーに入り、松井玲奈さん、松井珠理奈さんに次ぐポジションに抜てきされています。
当時はたくさん反抗したと話す楽々さんですが、今では「全ては母のおかげ」と感謝を口にしています。「テニススクールに入っていたら、今の私はありません」とも語っていました。けんかの多かった母娘だからこそ、言葉の重みが伝わってきますね。
SKE48卒業の理由は?アナウンサーを目指した決断
次世代エースと期待されていた楽々さんの卒業発表は、多くのファンに衝撃を与えました。なぜ人気絶頂のタイミングでグループを離れたのか、今でも気になっている方は少なくないでしょう。ここでは、卒業に至るまでの流れと、その裏にあった思いを整理していきます。
受験のための休業と活動再開
楽々さんは2018年5月から約半年間、大学受験に専念するため活動を休業しました。このとき卒業ではなく休業を選び、11月にはグループに戻っています。
2019年3月に南山高校女子部を卒業し、4月に青山学院大学へ入学。7月には英検1級(英語検定の最上位級)合格を報告し、「サイゼリヤで勉強した甲斐がありました」とつぶやいて話題になりました。
下記の表に、SKE48加入から卒業までの主な出来事を時系列で並べています。
| 年月 | 出来事 | 本人の状況 |
|---|---|---|
| 2015年3月 | SKE48第7期生オーディションに合格 | 中学3年生 |
| 2015年8月 | 「前のめり」で研究生ながら初選抜 | 学業とアイドルの両立が始まる |
| 2018年5月 | 大学受験のため半年間休業 | 高校3年生 |
| 2019年7月28日 | 19歳の生誕祭で卒業を発表 | 青山学院大学1年生 |
| 2019年9月30日 | 劇場公演をもってSKE48を卒業 | セント・フォースへ |
※オリコンニュース、東スポWEB、本人インタビューをもとに作成
生誕祭での卒業発表
卒業を発表したのは、2019年7月28日の生誕祭公演でした。ステージで楽々さんは「極めたいものを見つけたいと思って」と語り、将来の夢として朝の番組に出ること、海外留学をすることを挙げています。
大学に入って周りの友人を見るうちに、アイドル以外のことにも挑戦したいという思いが強まったそうです。「アイドルという枠に縛られなくてもいいのかな」という言葉からは、19歳なりの真剣な迷いが伝わってきます。
塩尻奈都子アナへの憧れ
アナウンサーという目標が具体的になったのは、休業中のことでした。名古屋のテレビ局で朝の番組のお天気を担当していた塩尻奈都子アナウンサーの姿に心を打たれ、「朝の顔」になりたいと思うようになったといいます。
卒業後は自ら所属事務所に履歴書を送り、セント・フォースと契約しました。誰かに敷かれたレールではなく、自分で選んだ道だったわけです。母に背中を押されて始まった芸能活動が、ここで本人の意思による挑戦へと切り替わったといえるでしょう。
卒業を後押しした家族の支え
休業と卒業、どちらの決断にも家族の存在がありました。受験期には母がAO入試向けの塾を勧め、東進との掛け持ちを支えています。そもそも休業という選択肢を取れたのも、家族が学業を大切にしていたからこそでしょう。
ファンにとっては寂しい卒業でしたが、本人にとっては次の夢へ踏み出すための前向きな一歩でした。
兄弟そろって芸能界へ 兄が役者を志したきっかけ
妹がアナウンサー、兄が俳優。兄弟そろって表舞台に立っていると聞くと、どんな家庭で育ったのか一段と気になってきますよね。実は兄の大川泰雅さんが俳優を志したきっかけには、妹の楽々さんが深く関わっていたといわれています。この節では、兄妹それぞれの歩みを重ねながら、2人が芸能の道を選んだ背景を探ります。
『中学生日記』に出演していた兄
大川さんのWikipediaによると、兄は中学受験を終えたあとにオーディションを受け、NHKの『中学生日記』に出演した経験があるそうです。名古屋で制作されていた長寿ドラマで、地元の中学生が出演者として参加するスタイルが特徴でした。
妹が習い事に明け暮れていた頃、兄もまた表現の世界に一度触れていたことになります。子どもの「やってみたい」に機会を与える家庭の方針は、兄妹どちらにも共通していたのかもしれません。
就職試験の挫折と祖父の叱咤
大学卒業を控えた大川さんは、テレビ局への就職を希望して各局の採用試験を受けましたが、すべて不採用に終わったとされています。いったんは証券会社への入社が決まっていたものの、祖父から「自分のやりたいことをやれ」と叱咤され、キャリアを考え直すことになりました。
ここで登場する祖父は、楽々さんにゴルフを教え、アイアンを組んでくれたあの祖父と同じ人物だと考えられます。孫たちの人生の分かれ道で、祖父がそれぞれに大きな役割を果たしていたのは印象的ですね。
妹の卒業公演が決め手に
大川さんが役者の道を選ぶ最後の決め手になったのが、妹・楽々さんのSKE48卒業公演でした。ステージに立つ妹の姿を見て、「人に感動を届ける存在になりたい」と強く思ったと紹介されています。
2019年9月の卒業公演は、妹にとってはアイドル人生の締めくくりでした。同じ日が、兄にとっては新しい人生の始まりになったわけです。兄妹の物語が交差する瞬間として、ファンの間でも語られるエピソードになっています。
似ている兄妹の挫折と再起
興味深いのは、兄妹がよく似た挫折を経験していることです。楽々さんも大学3年生でキー局のアナウンサー試験を受け、最終選考まで残りながら不合格となりました。兄はテレビ局の就職試験に、妹はキー局のアナウンサー試験に、それぞれ一度は跳ね返されたことになります。
それでも2人とも諦めず、兄は俳優、妹はフリーアナウンサーとして自分の居場所をつかみました。失敗を次の糧に変える姿勢は、家族から受け継いだものなのかもしれませんね。
写真集『LALA』で見せた素顔
2025年、楽々さんは25歳の誕生日に合わせて初めての写真集を出しました。朝の情報番組でおなじみの顔とは違う一面を見られるとあって、発売前から注目を集めていましたよね。ここでは写真集の概要と、そこに込められた思いを振り返ります。
誕生日に発売されたファースト写真集
ファースト写真集『LALA』は、2025年7月23日にワニブックスから発売されました。撮影を担当したのは写真家の大江麻貴さんです。出版社の紹介文では、ふだんのテレビではなかなか見ることのできない「素の彼女の魅力」がつまった一冊と紹介されています。
下記の表に、通常版とデジタル版の違いを整理しました。
| 項目 | 『LALA』 | 『LALA ~Another Edition~』 |
|---|---|---|
| 発売時期 | 2025年7月23日 | 2025年12月ごろ |
| 形態 | 紙の写真集 | デジタル限定 |
| 価格(税込) | 3,300円 | 2,200円 |
| 特徴 | 誕生日に合わせた初写真集 | 本人が再セレクトしたカットを収録 |
※ワニブックス公式サイト、電子書籍ストアの商品情報をもとに作成
タイトルに込めた「らら」
タイトルの『LALA』は、本名とみられる名前「楽々」をそのままアルファベットにしたものです。アイドル時代からの愛称でもあり、飾らない自分を見せたいという思いが伝わってきます。
撮影では慣れないポージングにも挑戦したと、関連動画で明かしていました。SKE48時代とは違い、ひとりのキャスターとして被写体になるのは新鮮な体験だったようです。
本人が選び直したデジタル版
2025年12月には、デジタル限定の『LALA ~Another Edition~』が配信されました。こちらは楽々さん自身が写真を選び直した一冊で、「通常版と見比べると何倍も楽しめます」とコメントを寄せています。
このデジタル版はオリコンニュースでも2025年12月24日付で取り上げられ、朝の番組でおなじみのキャスターが見せる新たな一面として紹介されていました。自分で作品を編み直すあたりに、仕事に対するこだわりの強さが見えますよね。アイドル時代に写真の見せ方を学んできた経験も、セレクトに生きているのかもしれません。
写真と家族のつながり
写真集そのものに家族が登場するわけではありません。とはいえ、楽々さんのふだんのインスタグラムには、兄が撮影した写真がたびたび並んでいます。身近な家族が撮る自然な笑顔と、プロの写真家がとらえた大人の表情。両方を見比べると、彼女の魅力の幅が見えてくるのではないでしょうか。
家族に囲まれて育った明るさが、ページの端々からにじみ出ている。そんなふうに感じるファンも多いようです。
後藤楽々は何者?アナウンサーとしての現在と実家への思い
最近テレビで見かけて「この人は何者なんだろう?」と気になった方もいるかもしれませんね。元アイドルという経歴を知らずに、朝の情報番組で初めて顔を覚えたという人も多いはずです。最後に、フリーアナウンサーとしての現在の活躍と、実家の家族から受け取ってきたものをまとめます。
日本テレビの朝の顔として
楽々さんは現在、セント・フォースに所属するフリーアナウンサーです。日本テレビ系の『ZIP!』や土曜の『シューイチ』に出演しており、事務所のプロフィールでは『坂上忍の勝たせてあげたいTV』も出演番組に挙げられています。
2022年10月からは早朝の『Oha!4 NEWS LIVE』でエンタメ担当も務めました。当時は深夜0時50分に起きる生活だったそうで、「働いてる、私!」という達成感が原動力だったと語っています。英検1級とTOEIC905点という語学力も、キャスターとしての大きな武器です。
アナウンサー試験の挫折と父の言葉
順風満帆に見える経歴ですが、本人は「とんとん拍子にきていると思われがちなのですが、そんなこともなくて」と話しています。大学3年生で受けたキー局のアナウンサー試験では、最終選考まで残りながら不合格に。中学・高校時代に大きな失敗をしてこなかったぶん、苦しかったといいます。
そのとき父がかけたのが「失敗して正解だ」という言葉でした。失敗したら振り返って反省点を洗い出し、次に生かせばいい。この言葉に支えられてフリーの道を選んだと、本人は振り返っています。
ゴルフも仕事の一部に
子どもの頃から家族と続けてきたゴルフは、今では仕事の柱のひとつになりました。事務所のYouTubeチャンネル「cent.Force Golf Club」に出演しているほか、ゴルフ番組への出演経験もあります。
朝の生放送を終えたあとに打ちっぱなしへ向かい、1時間で130球ほど打ち込むこともあるそうです。祖父から受け継いだ趣味が、こうしてキャリアにつながっているのは素敵な話ですよね。
名古屋への恩返しという目標
2025年12月の中日新聞のインタビューで、楽々さんは両親への感謝を「恥ずかしくてあまり口にしないけど、2人には本当に感謝しています」と表現していました。母は子育てが終わったことを寂しがっているようだ、とも話しています。
そのうえで口にしたのが「地元名古屋の仕事にも挑戦したい」という目標です。実家のある街への恩返しが、これからの楽々さんを動かす原動力になっていくのかもしれません。
後藤楽々さんの実家と家族についてのまとめ
- 後藤楽々さんは2000年7月23日生まれ、愛知県出身のフリーアナウンサーである
- 実家は名古屋市内にあるとみられ、本人も名古屋弁の抑揚に今も苦労していると語っている
- 家族は父・母・兄との4人家族で、祖父母とも三世代で親しく交流している
- 父親がパチンコ店運営会社「喜久屋」の社長という説は、同姓であること以外に根拠がない
- 父は「人生は下りのエスカレーター」「失敗して正解だ」といった言葉で娘を導いてきた
- 母は用意周到な性格で、本人に相談せずSKE48のオーディションに応募した
- 兄は俳優の大川泰雅さんとされ、Wikipediaにも実妹として記載されている
- 大川さんは妹のSKE48卒業公演を見て役者を志したと紹介されている
- 小学校から高校まで南山の各校に通い、青山学院大学文学部英米文学科を卒業した
- 多くの習い事や私立校への進学から、経済的にゆとりのある家庭だったと考えられる
- 中学時代のイギリス留学説は誤りで、海外経験は小学生時代のオーストラリア研修程度である
- 後藤楽々は本名とみられ、兄との姓の違いは兄の芸名によるものと考えられる
- ゴルフは7歳ごろ祖父の影響で始め、大学3年でベストスコア79を記録した
- SKE48は「極めたいものを見つけたい」として2019年9月に卒業し、アナウンサーの道へ進んだ
- 2025年7月には25歳の誕生日に合わせてファースト写真集『LALA』を発売した
- 今後は地元名古屋の仕事にも挑戦し、恩返しをしたいと語っている


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